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JORA BLOG
2019-10-27 | TJV2019

「はらたけしの……海道をゆく」Vol.6

先週末、参加スキッパーへのウェルカムディナーが開催された。そこにはコ・スキッパーと呼んでいただける私も含まれていたのでご相伴にあずかった。会場であるル・アーブル市庁舎を目指してグーグルに連れていってもらうと建物の正面には立派な文字で「HOTEL DE VILLE」と書いてあった。

「HOTEL DE VILLE」と書かれた市庁舎

「HOTEL DE VILLE」と書かれた市庁舎

しかしそこは間違いなくホテルではなく市庁舎だったのだ。香港で⚪️⚪️飯店に飯食いにいったらホテルだった、のと逆の知らなかった常識といったところか……。

まあ、入ってみると階段にはレッドカーペットが敷き詰められていて立派な建物だったが、私を含めて招待客は皆ジーパンにチームジャケットを辛うじて羽織った潮くさい連中であることは言うまでもない……。

なんとなくシャンパンを飲み始めなんとなくテーブルについてフルコースの食事が始まると、いかにもという風情の市長さんとスポンサーのエライ人から簡単な挨拶があって、食べ終わった人からじゃあね、という感じで皆帰っていった……。

その食事のテーブルは何も指定がなかったから早めに着いた私たちが適当に座っていると、比較的小綺麗なチームシャツを着て上品で控え目な笑顔を湛えた二人が同じテーブルの席に着いた。

パトリツィアの通訳と、お互いのカタコトした英語で会話を進めていくと、彼らは私たちと同じClass40にエントリーしている「A CHACUM SON EVEREST」のメンバーで他の多くの参加艇が大小様々なスポンサーを抱えてプロフェッショナルとして参加している中、珍しいアマチュアセイラーということだった。

それも2人は兄弟で、兄であるスキッパーのイヴはコマーシャルディレクター、コ・スキッパー弟のルノーは弁護士で、このレースのために2年間準備をして、約ひと月の休暇を取って、自腹でClass40をチャーターしての参加ということだ。10月1日から禁酒までしているという……。

YVESとRENAUDのCOURBON兄弟

YVES(正面中央)とRENAUDのCOURBON兄弟

それに2人はライフワークとして癌を患った子供たちが回復できた時に、モン・ブランで有名なシャモニーの山々を登ってもらおう、というキャンペーンを展開しているという。

艇名の「A CHACUM SON EVEREST」というのは「それぞれのエベレストに…」という意味で、その子供たちを勇気付ける意味を込めている。そして「今、オレたちにとってのエベレストは勿論ジャックヴァーヴルだよね!」と2人は顔を向き合って笑った。その笑顔は心の底から人生を、ヨットを、楽しんでいる人の美しいものだった……。

A CHACUM SON EVEREST

A CHACUM SON EVEREST

3月の終わりにこのレースに出たいと思い始めて早くも半年。もう明日にはスタート海面に出ようとしている。

何故わたしは自分の店を畳んでまでこのレースに出たいと思ったのだろうか……。

それはやはり、新しいことに魅力を感じたからであるな。それは2人乗りのレースということだ。

2という数字は大変微妙である。ひとりとは大違いだ。困難に直面した時の心強さは倍増するだろう。しかし同時に複数の始まり、コミュニケーションの始まり、揉め事の始まりでもある…。結婚したことのある人なら頷いてくれるだろうか…。

フルクルーでのヨットレースが全てであった私にとっては、その心地よさと同時に難しさも経験してきたので、ソロ以外の最小人数であるこのダブルハンドレースに強い魅力を感じたのである。簡単に言えば、人付き合いが苦手な私にとって、丁度いいレースなんではないかと……。必要な時は2人で力を合わせ、それ以外はほとんど一人の時間を海の上で、ヨットの上で満喫しながらレースが出来る、そんないい話はない、と思ったわけである。

ましてや相方はヨットのオーナーで自艇を知り尽くし、大西洋の海を2度ソロのレースで渡っているセイラーである。 我々の仕事の分担は明確である。基本的に3時間ずつの操船とウォッチでオンとオフを繰り返すことの他に、何か問題が生じたり整備が必要な場合は私は主にデッキから上……つまりバウの先端からマストトップまで、北田スキッパーはデッキから下……ナビゲーションからエンジンその他諸々、船底に至るまでを担当する。

食事は完全に各自で自由に、というスタイルで全てフリーズドライだ。食事に必要なものはガスボンベとナベが一体化している湯沸かし機材ひとつである。それがジンバルに乗っかっていていつもゆらゆらしている。フランス製のフリーズドライは塩分控えめで栄養バランスよく出来ている。さすが、という味だ。そこにカップヌードル少々…。コーヒー、紅茶、お菓子が口直し程度。

貴帆の台所

貴帆の台所

それにしても、何につけても、準備するのが2人分だけでいいというのは楽なものである。そして何人にも決まり事を念押しすることがない。しかし、ソロでのレースが主だった北田スキッパーにとっては2人分というのがとても多く感じているようだが……。

 

余談であるが、Class40の参加メンバーを調べたところ、やはり2人合わせての最高齢は我らが「貴帆」チームの111歳あることが判明した!

第2位は「TERRE EXOTIQUE」の109歳、ちなみに「A CHACUM SON EVEREST」はイヴが52歳、ルノーが46歳で98歳の若僧である。

また、最年少はポンツーンで隣に停まっていた「E.LECLERC」で20歳と21歳の若者で41歳!そいつら毎日可愛い彼女を連れてきていたな……。

最年長と最年少のショット

最年長と最年少のショット

そしてなんと、個人では62歳が最高齢で、次いで60歳がいて、56歳の私が3番目に年寄りであることも明るみに出た……。

これは何も歳でエクスキューズを匂わしているのではなく、これだけ広い年齢層のセイラーが、夢を抱いて長いこと準備してエネルギーを費やすだけのレースであることを紹介したいからである。

やはりヨーロッパ人にとってはコロンブスの時代以来、まずは西へ向かって”大西洋を横断する“ということ、それは未知への好奇心と野心を焚きつけて止まない、何ものにも代えがたい誘惑的な魅力を持っているに違いない。

スタート前日、晴れて最多の人出…

スタート前日、晴れて最多の人出…

スタッフの友人家族と…

スタッフの友人家族と…

 

スタートまで24時間を切って、ああでもない、こうでもない、といつものようにこの4、5日に渡って囁かれていた天気予報が絞り込まれてきたようだ。ヨーロッパ大陸の北にいる高気圧が頑張って、大西洋にいる大きくて凶暴な低気圧に待ったをかけてくれているおかげで、スタートは珍しく北東のいい風でダウンウィンドになりそうだ。

ブルターニュ半島を超えたらすぐにジャイブしてリーチングとなり東から南と前に振れていく風の中をなるべく早く難所であるビスケー湾を一気に抜けて貿易風が待つジブラルタル海峡の南へと出たいものである。まあ、そう上手くはいかないが……。

前日のウェザーブリーフィング

前日のウェザーブリーフィング

明日、10月27日は私にとって新しい挑戦の船出である。船出は未知の誕生であり祝いでもある。もちろんレースであるけれど、その前に自分との問答でもある。楽をしたい、妥協したい、怖い、眠い、痛い、寒い、暑い…こととの闘いでもある。

そして母なる海は油断や奢りや虚栄を見逃さない、許さない。しかし、陸の上では決して味わうことのできない類の生を実感させてくれる。一期一会の刹那の連続が待っている。

26年ぶりに、今の私にとっての”エベレスト登山”が始まる。 楽しいことがいつか終わるように、辛いこともいつかは終わる。終わらないのは終わること……。 それではみなさん、いってきます。 次はブラジルから……フランスから……日本から……どこになるか、いつになるかわからないけれど、またお便りいたします。

Ready to go !

Ready to go !

2019.10.26. Au restaurant de l’hôtel Mercure 於

TAKESHI  HARA

原健(はら たけし)
この度、Transat Jacques Vabre 2019(フランス〜ブラジル4500マイルをダブルハンド)に北田氏とダブルハンドで参戦することが決まりました。これを機に「はらたけしの…..海道をゆく」と題してコラムを連載しております。ぜひお楽しみ下さい。

はらたけしの……海道をゆく

2019-10-22 | TJV2019

「はらたけしの……海道をゆく」Vol.5

もの知りな"テクニシャン"ジュリアン

もの知りな”テクニシャン”ジュリアン

“テクニシャン”のジュリアンは、なかなかのもの知りである。ヨットのことは別にしても、映画や料理やアートや音楽だけでなく、様々な国の文化や人間像について浅くない知識や見解を持っている。

中東で生まれて色々な国に行ったり仕事をしたりしたからだけでなく、祖父がイタリアのカプリ島近くの小さな島出身で祖母がルクセンブルクというアルプスの小国出身というルーツも少なからず関係しているように思われる。

そこに、言語学者にして翻訳家で5ヶ国語を自由に操るパトリツィアが加わると、英語、フランス語、イタリア語、日本語が飛び交いながら昼飯時やコーヒータイムはあっという間に過ぎてゆくのである。 

 そんなジュリアンの解説によれば、ブルターニュの人々のルーツはブリトン人…つまりグレートブリテンから渡ってきた人々なので、独立したひとつの国という意識がフランスの中で特に強いという。

スペインで言うならバスクやカタルーニャの感覚に近いらしい。16世紀、フランス王国とブルターニュ公国の平和維持のために政略結婚をしてフランス王妃となったアンヌ・ド・ブルターニュとその娘でやはりフランス王妃となるクロードのおかげでブルターニュの名物である海水から製造される塩に対して税を撤廃させたという歴史があり、そのため今でもブルターニュ産の塩は世界に広く知られているのだという……。

確かにロリアンのレストランで食べる料理は塩梅が良いし、バターが殊の外美味しく感じられる。また、日曜日には教会の鐘の音以外によく何処からかバグパイプの音色が聞こえてくるし、イギリス風のバーが少なくなくてビールを飲む人が多いし、雨はやたらと降るし……私が勝手にいだいていたフランス感を覆された。

  10月13日、予定より早くロリアンに別れを告げてル・アーブルへと回航に出発した。目まぐるしく変わるブルターニュの天候の隙間をついて最も安全に、レースする海域をチェックしながら約300マイルを移動するピンポイントの出航だった。

長い時間をかけてたった一発の勝負に挑む場合、準備の後半は艇にダメージを与えないことが最重要課題となるからだ。それは老いた二人の乗組員にも同じことが言えるのであるが……。

  ほぼ2日間の回航はとても盛りだくさんだった。ブルターニュ特有の霧雨が降りしきる中でのスタートから、ブレスト沖に到達すると次第に天候が回復して日没の頃には水平線間際の雲に大きな裂傷が出来て、私の記憶の中でも10本の指に入る美しい夕焼けに出逢うことができた。

美しい夕焼けに出逢う

美しい夕焼けに出逢う

おまけにイルカが3家族ぐらい現れて、まるで私たちをエスコートしてくれるように翌朝近くのまで7時間にわたって戯れていた。

ブルターニュ半島の北側に回りこむと風が落ちて機走となったが、世界で最も潮流の強く干満差が最大で12mもあるという英仏海峡に入った。そして次のウェイポイントであるコタンタン半島を目指してノルマンディ諸島に差し掛かるころには向い潮が7ノットを超えた!しかし運良く南西の追い風が強まって辛うじて前へと進み続けた。11ノットのボートスピードが出ていても対地速度が3ノットしか出ていないというのはなかなか味わえない。潮で艇体が押し戻されているのが体感できて、改めてこの6時間毎に展開される天国と地獄、飴と鞭、上り坂と下り坂をどう読み切ってセイリングするか、この海域の難しさを痛感したのだった。

  しかし、雨が降ったり止んだりを繰り返していた灰色の空が、強まってきた南西の風の力で吹き飛ばされて、夜になると満月が現れ、北の空の常連である北斗七星とオリオン座の挨拶を受けて、おまけに緑色の鮮やかな閃光を放ちながら落下する巨大な箒星にまでお目にかかった……。

そして明け方シェルブール沖を通りかかり、若かりし日のカトリーヌ・ド・ヌーブを思い出し、俯瞰のカメラに映る雨傘たちが動くオープニングのメロディを鼻歌しながらなんとなく納得出来た……シェルブールには雨傘が必要なんだと……。

 

  お昼過ぎにル・アーブルのマリーナに無事着岸した。そしてボス北田が大切に保管しておいた「山崎」のボトルが開き、ひっそりと二人で乾杯をして杯を傾けた。また一歩レースのスタートに近づいたわけであるから……。

 

  その後、日が暮れてから、私にとって人生初の水門「ロック」を通ってレースヴィレッジに入港した。

その舞台はイベント会場としてパリのレセプション同様に手慣れた人々によってで用意され、”する人”と”観る人”と”お金を出す人”と”応援する人”が皆、満足出来るような環境が創り上げられようとしていた。しかし……当たり前のことだけど……我々二人を含めて全ての”する人”側の本当のイベント会場は海にある。

  きっとこれから残りの数日間は、早くこのお祭り騒ぎを終えて海に出たいという願望を込めたカウントダウンになってくるはずだ。そして、26年前のウィットブレッドのスタートでサウスハンプトンの港を出る時もそうだったように、舫いロープを解く瞬間には心地の良い開放感に包まれることだろうか……。

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  今日ヴィレッジオープンから2日が過ぎた週末、会場はものすごい人出でごった返していた。一昨日から猛烈に吹き続いていた50ノットを超えるゲールがやっと収まった夕方、部屋の窓から見える西の空には再び見惚れるような夕焼けが広がっていた。

 

  さあ……、下北半島と会津盆地からやってきた”オヤジ”と呼ばれる微妙な年頃の男二人による赤道越えの大西洋横断という冒険へのスタートはもうすぐである……。

"オヤジ"と呼ばれる微妙な年頃の男二人

“オヤジ”と呼ばれる微妙な年頃の男二人

                                    2019.10.19.   Hotel Mercure au Le Havre 於

TAKESHI HARA

原健(はら たけし) この度、Transat Jacques Vabre 2019(フランス〜ブラジル4500マイルをダブルハンド)に北田氏とダブルハンドで参戦することが決まりました。これを機に「はらたけしの…..海道をゆく」と題してコラムを連載しております。ぜひお楽しみ下さい。

はらたけしの……海道をゆく

2019-10-13 | TJV2019

「はらたけしの……海道をゆく」Vol.4

ヘミングウェイが通い、その作中にも登場した「Cafe IRUÑA」

ヘミングウェイが通い、その作中にも登場した「Cafe IRUÑA」

以前、何かで読んだか誰かから聞いたか忘れたが、B級と呼ばれたり2流と呼ばれる文学作品ほど舞台となった土地の文化や伝統や時代の現実を伝えているものだ、という言葉を聞いてなるほどな、と膝を打った。

その時代、その土地でしかわからない特殊性がそういう呼び名を生む理由なのだろう。あまり好きではない言葉だが”B級グルメ”や”B級映画”にも通じる感覚ではないか…。マニアにはウケるが万人の認めるところでないもの……。逆を言えば、名作と呼ばれる作品は時代や土地の文化に関係なく、所謂”普遍性”があるために、いつ誰がどこで何語で読んでも、なるほど!……私と同じ!……という感覚に落ちるわけである。

  私にも、私が思う…と思っているが実は他の多くの人にとっても…名作があり何年にも渡って何度も読み返す本がある。大抵は表紙などは何処かにいっていしまい、ヨレヨレで赤茶けてしまっているが、何度引っ越しても捨てられない。

  その中の一冊にヘミングウェイの処女長編「日はまた昇る」がある。まだ20代半ばの彼がパリで新聞記者をしながら短編を書き始めていた頃に、実際の体験をもとに書かれた小説である。

その舞台はパリからボルドーを経由してフレンチバスクのバイヨンヌからスペイン国境を抜けてパンプローナの”牛追い祭り”の期間を中心に描かれている。

勿論、誰もが知る名作の内容をここで私の陳腐な言葉で披露する必要はないので止めておくが、私はいつかこの舞台となった地を旅してみたいと願っていた。

そして今回、パリでT.J.V.のオープニングレセプションの後、準備が始まるまでの期間が10日間空いたので、その願いが叶ったのだ!なにしろ舞台はロリアンの南でそんなに遠くないのだから……。

  バスと電車で巡った旅は、美しいバスク地方の自然と美味しいピンチョスと古くて静かな街並みの連続だった。100年前にヘミングウェイが辿ったと思われる場所がほぼそのままの形で残っているというのは、やはり石で出来た街や建造物の懐の深さを感じ、ひとりで嬉々としウットリしほくそ笑んだ…。

フィエスタの時期ではなかったので追体験とまではいかなかったが、その代わりに念願だったリーガエスパニョーラを観戦できたりして(アトレティコ・ビルバオVSアラベスのバスクダービーと乾が出場したエイバルVSセビージャ‼️)、ヘミングウェイが当時感じたスペイン人の”アフィシオン”の欠片を私も感じることができた。このような突発的で無計画な旅が時として出来ることも、私にとっては海外のヨットレースを楽しむ中の大切な要素なのである。

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  9月28日にロリアンに戻って、本格的に準備が始まった。

La Baseの貴帆

La Baseの貴帆

ロリアンという港街は静かな場所である。第2次世界大戦でドイツ軍に占領されて潜水艦の造船所となったドックが今も残るその場所が「La Base」と呼ばれ、ラ・トリニテ・シュメールと並んでフランス外洋ヨット、それもソロやダブルハンドに特化したヨットの聖地となっている。大戦末期にはロリアン奪還のための連合国軍の集中爆撃で街はほぼ壊滅したのだが、ドイツ軍が作ったこの造船所だけは後世の記憶のために残されたという。今では国内外から多くの観光客が訪れる。

お馴染みエリック・タバルリーのモンタージュアート

ドックの大きな壁にはフランス外洋ヨットの新旧2大レジェンド、エリック・タバリーとフランク・カマの肖像画が数え切れないセイラーたちのモンタージュアートで描かれている。また岸壁にはこれまで偉業を成し遂げた外洋レースのレジェンドたちの写真も飾られており、ポンツーンを見渡せば、Mini 6.5 、Figaro 、Class40、IMOCA60、そして巨大なマルチハルにいたるまで、当たり前のように舫われている。そんな、日本人から見れば非日常が日常となっている”La Base” に私の目もだいぶ慣れてきた。

 

  さて……、では我々のチーム「貴帆」のメンバーを少し紹介してみよう。

  まずはスキッパーであり、チームのボスである青森県出身の実業家、言わずと知れた北田浩である。「お前が好きだと、耳元で言った……」あのヒロシではない。5年という短い期間で、フランスの外洋シングルハンドレースの世界に単身飛び込んで道を切り開いてきた、ツワモノのヒロシである。

  その彼と現在のClass 40 「貴帆」が造船中にフランスで知り合い、以来彼と2人3脚で歩んできたスーパーな通訳であり秘書でもあるパトリツィア ・ゾッティはイタリアのアドリア海に面した港街レッチェ出身の女性である。彼女はイタリア語の他に英語、日本語、フランス語、スペイン語を駆使する言語学者でもある。日本の奈良県の大学にも留学、勤務した経験を持つ通訳を通り越したマルチ言語オペレーターである。彼女自身もセイラーであるが、夫リッカルドはイタリアの外洋ヨットのトップレーサーというあまりに出来すぎたスタッフなのだ。

  こちらでは”テクニシャン”と呼ばれるボートの管理責任者であるもう一人のスタッフはフランス人のジュリアン・ ルブラノ ラヴァデラ(Julien Lubrano Lavadera)である。彼は中東アジアの UAEで10歳まで生まれ育った。その後各国を放浪したりタイの造船所で働いたりした経験を持ち、日本の合気道を習い、クロサワ映画を愛し、タイの前国王を尊敬するという物静かな男で、ヒッピーの香りがプンプンする。英語が話せる彼と初対面の時、「俺の本名はタケシというんだが、ケンの方が覚えやすいよね?」と言ったら「いやいや、ムシューキタノと同じだからタケシでいいじゃん」という彼の一言で私の呼び名は本来の名前 ハラ タケシに30年ぶりに戻ったのである……。

  そしてもう一人、現在……日本においては住所不定無職のハラタケシこと私である。そして今、「貴帆」のコ・スキッパー兼人足として歳も外聞も忘れて、大西洋横断レースに頭を支配されている次第である……。

  あと一週間ほどのテストセイリングとレース準備が済めば、スタートの地、ル・アーブルへ「貴帆」を回航する。18日からル・アーブルではレースヴィレッジが開いて10日間に渡って10万人近い人々が訪れるという……。

  季節は秋が進んで、北風は一段寒さのスロットルを上げた。風の密度も増してきている。そして台風並みの低気圧が5日に一度の割合でブルターニュ半島をかすめてゆく……。

 カウントダウンの時計の音が心なしか大きくなってきているようだ……。

貴帆のスキッパーとコ・スキッパー

貴帆のスキッパーとコ・スキッパー

日本人二人フランスからブラジルへ

日本人二人フランスからブラジルへ

2019.10.5.      Appartements à Lorient. 於

TAKESHI  HARA

原健(はら たけし)
この度、Transat Jacques Vabre 2019(フランス〜ブラジル4500マイルをダブルハンド)に北田氏とダブルハンドで参戦することが決まりました。これを機に「はらたけしの…..海道をゆく」と題してコラムを連載しております。ぜひお楽しみ下さい。

はらたけしの……海道をゆく

2019-09-28 | TJV2019

「はらたけしの……海道をゆく」Vol.3

近年稀に見る猛暑……という言葉が使い古されつつあるけれど、そんな今年の夏もやっとのことで涼しくなり始めた9月の半ば、私は小倉駅にいた。

それはなにも小倉競馬に来たわけでも、角打ちの本場で酒を飲もうという魂胆でもなく、戸畑地区にあるNippon Survival Training Center(以下NSTC)を訪ねたのである。 Transat Jaques Vabre 2019に出場するために私に残された最後のクオリファイとして、World Sailing が認可するサバイバルコースとメディカルコースの受講があったからだ。

ニッスイが所有するNSTCは、これまで主に本船乗組員に対してサバイバルトレーニングと応急処置講習を行ってきた日本でも数少ない施設である。そこで今回行われた認定講習会は、高い安全規定をクリアしなければ出場出来ないような外洋ヨットレースへの参加希望者を対象とした啓蒙と後押しを活動の一環とするJORAとNSTCがコラボレーションし、人命救助を仕事として実際に行っていた講師を外国から招聘して実現したフルスペックの訓練としては日本初の試みである。

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私以外にも年末に予定されている横浜〜パラオレースや来年のチャイナシーレース、そして沖縄東海レースなどに参加を予定している、日本の外洋レース愛好家が20人ほど集まり9月14〜16日の3日間に渡って居眠りも深酒も許されない分刻みのスケジュールの下、講義と実技に明け暮れた濃密な3日間が過ぎていった。

削られはじめた月が左翼に映っていた。そのまま翼の先端のほうに視線を沿っていくと、その先にはオリオン座のベルトが見えた。まだしっかりと夜のパートの真っ只中にいるはずのユーラシア大陸の上空を西へと翔るジェラルミン製の巨大な鳥は朝の光から逃げていたが、いつかは追いつかれる運命だ。遥か下の方には、眠っているはずの街があり、目を凝らすと微かに灯る人間の暮らしが見えた…。

 

漂えど沈まず…

とは私が以前10年ほど耽読していた開高健作品の中で「花終わる闇」の冒頭に出てくる言葉なのだけれど、私は何故かこの言葉にやられてしまった。

言い当てられたような、共感したいような、教訓にしたいような、しなやかな言葉の強さを感じたのである。

これは帆船が描かれたパリ市の紋章の下の部分に書いてある「FLUCTUAT NEC MERGITUR」(「揺れはしても決して沈まない」)というラテン語から巨匠が引用した言葉とされている。幾たびの戦火に遭い、他国に占領されたりしながらも必ず自らの復権を果たし、自由を勝ち取ってきたパリ市民の心意気を表す言葉なのだ。ノートルダム大聖堂の火災の後もパリ市長はこの言葉を使ってツイッターで呼びかけたという。

私は長く海に出るとき、いつもこの言葉を胸に置く。

9月17日の朝早く、シャルルドゴール空港で違う便だった北さんとおち合って、パリ市内を目指した。

市内に入るのは17年ぶりのことだった。エッフェル塔近くのこじんまりとした居心地の良いホテルにチェックインした後、Transat Jaques Vabre 2019 のオープニングセレモニーまでの間、ホテルから遠くないカルチェラタンの辺りを散策した。遠い昔、南仏でのヨットレースの帰りに、開高健の名作「夏の闇」冒頭の舞台となったと思しきリュクサンブール公園からサンジェルマンデュプレ教会周辺にあった安宿に長逗留したことがあったので、その辺りを訪ねてみたかったのだ。期待通り、石の街は変わっていなかった。ましてやここはパリなのだ…。

5時近くになっても夏時間のパリの陽は高かったけれど、ひんやりした風に舞う落葉が秋を演出していた。そして我々が目指したエッフェル塔近くの、その名も「Theatre de la Eiffel」という劇場には続々とそれらしき人間たちが集まってきていた。パリという大都会にはあまりにも似つかわしくないはずなのに、強烈な存在感を放つ人々…。個性と個性がぶつかり合いながらも、おおらかな包容力と自信に満ち溢れていて、互いを認め合う共同体のような雰囲気は、私がこれまで体験したヨットレースのパーティでは味わったことのない世界を醸し出していた。それは、どこか、独自の世界観を海に求めたヒッピーたちが現代に生き残っているかのようだった……。

 

そして 舞台上で紹介されたすべての乗り手たちが等しく、大西洋という舞台で自分たちの書いたシナリオを演じる役者に見えてきた。

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私は今、その中のひとりになろうとしている。今までの経歴などまるで役に立たない、本当の初舞台が待っているかのようだ。その舞台を演じきって初めて、私もこの世界の片隅のひとりとして認めてもらえるかもしれない……。

その夜の舞台が終わった後に振舞われたブラジルのカクテル、カイピリーニャを飲みながら夜空を見上げると、エッフェル塔が建物の間から顔を覗かせていた。パリの舞台装置は完璧だった。
すると再び、あの言葉が蘇った。

「漂えど沈まず……」

2019.9.17 フランス パリ於

TAKESHI HARA

原健(はら たけし)
この度、Transat Jacques Vabre 2019(フランス〜ブラジル4500マイルをダブルハンド)に北田氏とダブルハンドで参戦することが決まりました。これを機に「はらたけしの…..海道をゆく」と題してコラムを連載しております。ぜひお楽しみ下さい。

はらたけしの……海道をゆく

[現地レポート]ツール・ド・ブルターニュ・アラヴォワル2019(Tour de Bretagne à la voile 2019)

皆さん、こんにちは。

Saint-Malo在住のJORAサポーターMiyukiさんから現地レポートが届きました。

昨年JORAでもメディア班として取り上げたルート・デュ・ラム(La Route du Rhum-Destination Guadeloupe)のスタート地であるSaint-Maloではツール・ド・ブルターニュ・アラヴォワル2019(Tour de Bretagne à la voile 2019)のスタートとして盛り上がっています。

このレースはワンデザインのフォイリング艇「フィガロ3(ベネトウ(Beneteau))」で争われており、セーラー、そしてチームの練度を競う非常にコンペティティブなレースでもあります。

それではスタート前の現地レポートをご覧ください。

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「ツール・ド・ブルターニュ・アラヴォワル2019(Tour de Bretagne à la voile 2019)」

レポート:Miyuki

フランス人にとって第3番目の人気避暑地であるフランス北西部のサン・マロ 。夏も終わり、9月にはいり閑散としていたのも束の間、先週末はかなりの観光客で賑わいました。

サン・マロは、2018年11月に貴帆で北田氏が初の日本人として参加し完走したルート・デュ・ラム(La Route du Rhum-Destination Guadeloupe)の出発地点です。

サン・マロの旧市街地(アントラミュロス)の前に停泊するデュオ37艇

サン・マロの旧市街地(アントラミュロス)の前に停泊するデュオ37艇

そのサン・マロに、9月7日ツール・ド・ブルターニュ・アラヴォワル2019(Tour de Bretagne à la voile 2019)に参加しているデュオ(ダブルハンド)37艇が、次々と入ってきました。 サン・マロは、第一中継地点です。 レースは、同日サン・ケ・ポートリユから始まりました。

9月のサン・マロは日中でも15度とかなり涼しいのですが、晴天に恵まれました。

ここに昨年は、貴帆がいました!懐かしいです。

ここに昨年は、貴帆がいました!懐かしいです。

翌日9月8日、15時には次のレース出発地点へ移動開始。出発は、いつもワクワクします。

レースは、 これから3箇所に寄港しながらブルターニュ半島の海を一周して9月14日にゴールであるトリニテ・シュール・メールに到着予定です。

公式HPは こちら からご覧いただけます。

https://tourdebretagnealavoile.com/fr/

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【著者紹介】

モルドバン・ミユキさん

現在Saint-Maloにお住まい。
日本で社内通訳翻訳歴10年(日英)。在仏9年。
現在web作成関連に従事。趣味はパイプオルガン演奏。
JORAメンバーがSaint-Malo方面で活動する際にサポートして頂いています。

2019-08-22 | TJV2019

「はらたけしの……海道をゆく」Vol.2

7月12日トランスパックのスタート直前、私がT.J.Vの相棒に決まったと北さんからメールが入った。
正直言って私はホッとした。なにせ私は3年前に向島に骨を埋めるつもりで始めた店Cabo de Hornosを畳んだわけだから……。

今年のトランスパックは25ノットを超えるとても強い貿易風に恵まれ、高速のダウンウィンドが続いた。8日間あまりの航海の間私は存分にLady Kanon6の舵を持ってサーフィングを楽しんだ。 そして21日の未明に無事ダイヤモンドヘッド沖のフィニッシュブイを通り抜けた。幾つかのパーティーをやり過ごして身体が陸に適応し始めた頃、本格的にT.J.V.のスタートへの時計が動き出していた。

T.J.V.は1993年に第1回のレースが開催されて以来、2年に1度行われてきたダブルハンドレースの最高峰である。
ソロやダブルハンドによる外洋レースが国民的なスポーツのひとつであるフランスにおいてはセイラーにとって憧れのレースでもある。そんなレースにコ・スキッパーという名前をいただいて、北さんと二人で日本人として初めて参加できることは大変な名誉である。つくづく、私は運のいい男である……。

それにしても、このレースが初めて開催された年は私がTOKIOで参加したWhitbread 世界一周レースのスタートした年であること、そしてフィニッシュする港がブラジルであること、に因縁を感じる。
ブラジルといえばTOKIOが断然の総合トップでスタートした第5レグにおいてディスマストして緊急入港したのがサントスの港で、その後ジュリーリグでヴィトーリアという港に移動してニュージーランドから届けられた新しいマストのセクションを48時間の不眠不休で立ち上げ再スタートした場所だった。
当時、総合タイムのみで争われた世界一周レースではディスマストはイコール敗北を意味した。だから私にとってブラジルとはサッカーをしていた時代は憧れの国であったけれど、26年前には入らざるべくして入った国だった。

今回のT.J.V.のフィニッシュ地点はブラジルの最初の首都であり、サンバが生まれた場所として知っていたサルヴァドールである。私としては、TOKIOで味わった悔しさを払拭して、このレースを出来る限りの充足感と共にこのブラジルの古都に上陸を果たしたいと思っている。

レースはMulti50とImoca60とClass40の3つのカテゴリーに分かれていて、現在、Class40には 28チーム 56名のエントリーが発表されている。

年齢で言えば、私たちは最も高齢で北➕原=111歳であるが、それを111%のパフォーマンスに変えて、少しでも大西洋の猛者たちを驚かせてやりたいものだ。
この大会HPに発表されたメンバーの一人として、気がつけば “オジサン” と呼ばれる年齢の一人として、そして外洋レースに魅せられた日本人の一人として、存分にこのレースを楽しみたい。
https://www.transatjacquesvabre.org/en/skippers/class40

今、私はハワイヨットクラブのバーカウンターでマジックアイランドの向こうに沈んでいく夕陽を眺めながら、ビスケー湾の悪い波や、赤道無風帯ドルジュラムや、南半球の貿易風や、サンバの太鼓の響きを思い浮かべながら心臓の鼓動を感じている。それはまるで、カウントダウンの音であるかのようだった……。

2019.7.28. ハワイヨットクラブ於

TAKESHI HARA

原健(はら たけし)
この度、Transat Jacques Vabre 2019(フランス〜ブラジル4500マイルをダブルハンド)に北田氏とダブルハンドで参戦することが決まりました。これを機に「はらたけしの…..海道をゆく」と題してコラムを連載しております。ぜひお楽しみ下さい。

はらたけしの……海道をゆく

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