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JORA BLOG
2019-12-30 | JORA BLOG

テティス4の伊藤氏からスタート後のメッセージが届きました。

日本ーパラオ親善ヨットレーススタート前

日本ーパラオ親善ヨットレーススタート前

昨年ロリアンでワールドセーリングのサバイバル&メディカルトレーニングを受講された伊藤望さんは、テティス4のメンバーとしてこの日本ーパラオ親善ヨットレースに参加されています。
その伊藤さんからレーススタート後のメッセージが届きましたので掲載いたします。

テティス4の伊藤氏

テティス4の伊藤氏

パラオレーススタートしました。現在観音崎沖を通過中です。A2で風を拾いながら先行艇を追いかけています。セイルチェンジで体は暖まりましたが今夜は冷え込みそうです。我が艇のクルーはJORAでサバイバル・メディカルトレーニングを受講したメンバーなので安心です。

パラオまでご安航をお祈りしております!

児玉理事と伊藤氏

児玉理事と伊藤氏

テティス4の伊藤氏

頑張ってください!

2019-12-29 | JORA BLOG

JORA通信2019/12/29 パラオレースがスタートしました。

パラオレースがスタートしました。

今年9月に北九州でJORAとNSTCのコラボで開催したWS認定のサバイバル&メディカルトレーニングを受講された多くの方がこのレースに参加しています。

[サバイバル&メディカルトレーニングの様子]

日本-パラオ親善ヨットレース公式サイト

関連記事:シーサバイバル・トレーニングの話

2019-12-24 | JORA BLOG

ダブルハンドでの世界一周レース「Globe 40」

こんにちは。広報の堀内です。

JORAのセーラーが海外オーシャンレースに挑戦するClass40にビッグニュースが飛び込んできました。

2021年の夏、Class 40でダブルハンドの世界一周レース開催に向けたプロジェクトが進んでいるようです。計8レグで地球を一周するロマン溢れるヨットレースです。

ファーストレグは、フランス(現在の第一候補地)をスタートして大西洋を南下。カーボベルデ諸島(Cape Verde Islands)のサン・ヴィセンテ(Sao Vicente)までの約2,200マイルを帆走ります。

セカンドレグは、南アフリカ海岸を下り希望峰を越え、インド洋に入りマダカスカルの南にあるモーリシャス(Mauritius)への約6,200マイルのロングレース。

サードレグも6,200マイルのロングコース。シドニーホバートで有名な南オーストラリアのバス海峡を通り、ニュージーランドヨットのメッカ、オークランド(Auckland)に向かいます。

第4レグは太平洋を横切り仏領ポリネシアのタヒチ、パペーテ(Papeete)へ向かう2,100マイルのコース。

第5レグは南米最南端、船乗りにとって伝説的なアルゼンチンのホーン岬(Cape Horn)を周り、世界最南端の都市、ウシュアイア(Ushaïa)を目指す4,400マイルのコース。

第6レグは南米大陸東岸を北上。ブラジルのレシフェ(Recife)へ向かう3,300マイル。

第7レグは、美しいカリブ海グレナダ(Le Grenade)への2,000マイル。

最終レグは、アゾレス諸島を通りヨーロッパに戻る3600マイル。2022年の春を予定しています。

ダブルハンドで世界一周。ボックスルールが定められプロ、アマチュア問わず世界中の有名セーラーが集うClass 40だからこそ実現できるこの夢の企画。

参加する日本人セーラーは現れるのか!? JORAは世界の海に挑戦するセーラーをバックアップいたします。ご興味ある方はぜひお問い合わせください。

 

参照:Globe 40オフィシャルサイト

https://www.sail-world.com/news/218459/Globe-40-Round-the-World-in-Class-40-yachts

2019-12-12 | JORA BLOG

Monday NightとThetis4が日本ーパラオ親善ヨットレースに参戦されます。

Monday Night

Monday Night

2019年末から2020年初にかけて行われる日本-パラオ親善ヨットレースに、JORA理事の児玉オーナーのThetis4(テティス4)とJORA協力艇でClass40のMonday Nightが参加されます。

下記動画はMonday Nightのレースに向けた準備動画です。

参照:https://gopro.com/v/o6mebwaPNKmpN

レーススタートは12月29日(日)横浜港からパラオ共和国までの約1620nm(3,000km)の距離を帆走ります。

両艇共に頑張ってください!!

日本-パラオ親善ヨットレース公式サイト

関連記事:シーサバイバル・トレーニングの話

2019-11-05 | JORA BLOG

シーサバイバル・トレーニングの話

皆さん、こんにちは。

過日9月14日〜16日の3日間、北九州市戸畑地区にあるNippon Survival Training Center(以下NSTC)にて行われたシーサバイバル・トレーニングの様子が届きました。

JORA理事である児玉氏によるレポートをお楽しみください。

文:児玉萬平氏

原健さんのブログ「海道をゆく3」で触れられたワールドセーリング認定のシーサバイバルとメディカルの両トレーニングコースが、9月14日~16日、日本サバイバル・トレーニングセンター(NSTC、北九州市)に20名の参加者を集めて行われました。今回はその背景と様子をお伝えします。

日本サバイバル・トレーニングセンター

日本サバイバル・トレーニングセンター

シーサバイバル・トレーニングとは・・

速やかな救助が期待できない海況や場所で極限状態に陥った艇の対処法や、艇から脱出した後、あるいは落水してしまったクルーが生き残るための手段を訓練するトレーニングで、長距離外洋レース(OSR:外洋特別規定のカテゴリー0,1,2のレース)の安全規定では、一定割合の乗員がシーサバイバルとメディカル(ファーストエイド)のワールドセーリング認定コースの修了資格を有していることが要求されています。

国内の代表的長距離レースである沖縄-東海レース、小笠原レースは何故か(規定が緩い)沿岸レース向けのOSRカテゴリー3で行われ、このトレーニングの義務付けが無いこともあって、正式なワールドセーリング認定コースは開催されてきませんでした。

 そんな中で私のチーム「テティス4」は来年4月スタートのロレックス・チャイナシーレース2020(香港-マニラ565マイル、カテゴリー1)へのチャレンジを決め、その参加資格を得るため同トレーニングコースの受講の方策を検討していました。

 

ロレックス・チャイナシーレース

チャイナシーレースは1962年第1回が開催され、最近ではマキシ艇や大型トリマランなどの参加があり、ロレックスが冠スポンサーである外洋レガッタとしてメジャーなレースになっています。

日本艇は第1回から参加し、第3回の1966年には故渡辺修二氏率いる「ふじ」(渡辺43ft)が参加しましましたが、残念ながら微風の為フィニッシュ寸前にリタイヤしています。

 我々はこの「ふじ(のちミスサンバード)」を譲って貰い、テティスⅡとして外洋レース活動を始めたこともあって、この艇のセールナンバー380を引き継ぎ現在に至っています。そんな縁もあって、渡辺修二氏のご子息で元葉山マリーナ専務であった康夫氏と「セールナンバー380を掲げて親父たちのリベンジ・・・をしよう!」という話になりチャイナシーレース2020への遠征計画となったものです。

 

サバイバル・トレーニングコース開催の道

チャイナシーレースのエントリーに必要なこのトレーニングコースをどうやって受講するか・・今までは海外のコースに入るか、海外からトレーナーを呼ぶか、という選択肢しかありませんでした。

一方で北田さんは、以前から海外レースでの活動を通じて、このトレーニングコースの必要性を痛烈に感じ、国内で継続的に開催する可能性を探っていました。そこで二年前の2017年7月、私がファストネットレースに同乗させていただくため「貴帆」のベース、ロリアンを訪れた際に、ヨーロッパで活動する大多数のレーサーがトレーニングを受講する訓練機関CEPS(Centre d’Étude et de Pratique de la Survie)の責任者ヤン氏を二人で訪問し、日本における同トレーニングコースの実現への協力依頼と継続的な実施開催に必要な条件について相談いたしました。

帰国後、ヤン氏のアドバイスをもとに国内でこのトレーニングを実施できる機関・施設を探そうと、海上保安庁を始め関係各所にヒアリングを行ったのですが、なかなか良い情報が得られない日々が続きました。

そんな中、本年に入ってCEPSのヤン氏から「日本にも我々と同様の訓練ができる機関がある、アクセスしてみたらどうか・・」という連絡が入り、早速、紹介された北九州にある日本サバイバルトレーニングセンター(NSTC:ニッスイマリン工業)を北田さんと訪問、訓練内容を見学させてもらいました。

 その結果、北田さんをして「この施設と訓練の質ならCEPSに全くそん色ない」と言わしめ、このNSTCの施設を使用し同所スタッフに協力してもらうことを前提に、フランスからトレーナーを呼ぶことで、CEPSと同じワールドセーリングの認定コースを開催できると確信しました。

幸い、CEPS側もトレーナー派遣の協力を約束してくれ、9月14日~16日にサバイバルとメディカルの両トレーニングコースを、NSTCの協力のもとJORA主催で実施することになりました。

仏の訓練機関CEPSにまったく遜色のないNSTC

仏の訓練機関CEPSにまったく遜色のないNSTC

プロの船乗りにはSTCW条約が定めたトレーニングコースを受講、資格取得の義務がある

不勉強なことに、フランス側から紹介されて初めてNSTCの存在と実力を知った我々ですが、NSTC9年前からSTCW(船員の訓練及び資格証明並びに当直の基準に関する国際条約)の認証を受けた訓練を実施、基本コースは5日間、海外からの受講生も多いハイレベルなコースです。見学させて頂いたときは大型クルーズ船の女性クルーも受講生として参加し、プールに飛び込んでの実習訓練をしていました。

 

日本パラオ親善ヨットレースもトレーニング修了資格が必要

チャイナシーレース2020に向け自艇のリグ変更、無線設備の追加などの準備をする間に、外洋三崎会長である「トレッキー」新田氏から、本年年末から来春にかけて行われる「日本-パラオ親善ヨットレース」の参加を打診されたので、行きがけの駄賃(の割には遠回り、かつ高額のエントリーフィーですが)のノリで参加を内諾しました。

このレースもカテゴリー1で行われるため、前述のサバイバル・トレーニングの履修が必要とされ、レース実行委員会はオーストラリアからトレーナーを招きサバイバル・トレーニングコースを開催、レース参加予定者に受講を呼びかけました。

一方、JORA主催のサバイバル・トレーニングコースはNSTCと協力しての継続的な国内トレーニングコースを準備評価するという目的を持つものとして企画したものなので、日本-パラオレースの実行委員会が主催するトレーニングコースとは別のものとして、予定通り進めることとしました。

 

ヨットに特化した本格的なファーストエイド

メディカル(ファーストエイド)・トレーニングもレース参加資格として必須のものです。国内レースでは日本赤十字社の救急法救急員資格を取得することで認められてきました。しかしそれはあくまで陸の救急法であって、救急車も来ない、AEDも無くはるか沖合にいるヨット上の救急法としては大きく疑問を感じるものでした。

今回はCEPSで行われている認定メディカルコースのチーフであるフランス人医師の監修を得ながらも、日本の医療事情に合わせたトレーニングの内容とすべく、その講師として、現役外科医であり、自らも前回のメルボルン-大阪ダブルハンドレースに自艇を回航、レースの往復航海を達成したJORA理事の森村氏に担当頂くことになりました。

メディカル(ファーストエイド)・トレーニングを担当した森村氏

メディカル(ファーストエイド)・トレーニングを担当した森村氏

サバイバル・トレーニングの様子

3日間にわたって行われた今回のトレーニングの参加者の顔ぶれは多士済々で、原健氏の他、太平洋横断経験者、沖縄・小笠原レースの常連艇メンバー、ソロ・ダブルハンドレースを目指す若者など20代から70一歩手前(私です)迄、一堂に会した合宿訓練でした。

前半2日間のフランス人トレーナー(Jean-Claude Guenneguez、 Luc Hubertのお二人)の説明やプレゼン資料は当然フランス語でしたが、ほぼ同時通訳に近い速度で、専門用語も難なく翻訳していくJORAスタッフ清水女史の通訳が秀逸、それもそのはず、彼女はロリアンでCEPSのコースを受ける日本人セーラーために幾度となくこのコースをカバーしています。

CEPSのフランス人トレーナーJean-Claude Guenneguez氏、 Luc Hubert氏と通訳の清水女史

CEPSのフランス人トレーナーJean-Claude Guenneguez氏、 Luc Hubert氏と通訳の清水女史

コースには担当するトレーナーの経験や背景によって様々な追加情報が加えられますが、軍の航空救難隊に所属していたトレーナーからはレスキューする側の視点で多くの示唆を貰いました。

1日目のプールでのサバイバル術の実習、ヘリコプターからの吊り上げ、ライフラフト展開時の実際・・など、私の様な高齢者にはちょっときついメニューが揃っていましたが、2日目の消火活動、火工品の発火実習などと併せて、今までのナンチャッテ講習では気づかなかった得難い情報や気付きが数多くありました。

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また2日夕から3日目に行われたメディカル・トレーニングでは、担当する森村氏がCEPSのフランス人医師と講習前日までTV会議ですり合わせを行いながら、周到な準備を持ってコースに臨まれ、医療の基礎知識から艇に備えるべき薬品や道具、その使い方の実習まで、多岐にわたる内容でした。受講生の中には現役医師2名が参加しており、医師の皆さんによる経験談も加え、外洋ヨットに特化した実践的なファーストエイドに初めて触れた思いがしました。

トレーニングコースの今後

フランスではレースの参加資格としてばかりではなく、世界周航を計画するクルージングセーラー、漁船員など、自らの命を守るための基礎知識としてこのトレーニングコースを受講されると聞いています。今回自ら受講してみて、50年以上もヨットに乗っている者としては、あまりの知識と経験の浅さに情けない思いがしました。

資格取得の形ばかりのトレーニングではなく、繰り返しの訓練の中から本当のサバイバル能力が醸成されると感じました。

 なんとか、国内でもこのトレーニングコースが継続実施できるよう、教材の日本語化も含め努力していきたいと思っています。

 

NSTC責任者の言葉

訓練中の会話の中からも多くの啓示がありました。NSTCの実習では着衣での水中訓練もありますが、水中訓練時はほとんどサバイバルスーツを着込み、ライフジャケットも施設備え付けの物を使用、消火訓練も本格的な防火服を着るなど重装備での訓練を行っています、そこで理由を聞くと一言、

「訓練で万が一にも事故を起こしてはいけない。」

事故を絶対起こさない備えとして装備は毎回点検し完璧に保っている、個人持ちの装備は管理しきれない。受講生の健康状態、体力も千差万別だ、受講生のチームごとにダイバー(水中サポートスタッフ)を複数配置し緊急事態に備えている。一旦事故を起したらこの事業は成り立たない。

プロトレーナーの矜持が見えた一言でした。

「訓練で万が一にも事故を起こしてはいけない。」プロトレーナーの矜持が見えた一言

「訓練で万が一にも事故を起こしてはいけない。」プロトレーナーの矜持が見えた一言

トレーニング講師としてフランスから来ていただいたJean-Claude Guenneguez氏と Luc Hubert氏

遠路遥々ありがとうございました。

2019-11-04 | TJV2019

「はらたけしの……海道をゆく」Vol.7(最終回)

10月27日朝の9:30、舫いロープを解く瞬間、26年前のような開放感は訪れなかった……。

それは私の感情が鈍ってしまったからだろうか、それは年を重ねたということであろうか…。

手を振って送り出してくれる人たちに私も手を振りながら、まるでこれから先の4500マイルが45マイル先であるかのように不安も興奮も訪れなかった。やっとヨットレースができる喜びしかなかった。

スタート直前までVHF通信の通訳のために乗ってくれたジュリアンに「スタートまで3時間半もあるぜ…」と私が言ったところ、「あっという間だよ…」と彼が答えた。そうだよな……、ビッグレースの前はいくら時間があっても足りなく感じたはずだった。それが今はそう感じない。やはり私は良くも悪しくも慣れてしまったのか……。

  スタートラインは変則的で、真ん中にコミッティボートである軍用艦が鎮座して、西側にIMOCA60とMULTI50のスタートライン、東側にCLASS40のスタートラインが設置され、同時にスタートするというものだった。

スタートの舵を任される

スタートの舵を任される

  そして13:15、北東の順風でスタートのガンが鳴った。スタートの舵を任された私は潮の関係で岸寄りのスターボードエンドが有利と聞いていたから、空いているだろうと思われるコミッティボートの側からセイフティなスタートを試みた。そして余った時間をなんとか潰して、俗に言う”シモイチ”からジャストのスタートを切った。

暫くはトップ艇団を帆走っているかのように見えたが、左へ伸ばしながらしつこく付いてくる風上後方の数艇と一進一退を繰り返している間にタックして右へと戻る機会を失って、気がつけば早い段階で岸に寄せていたトップ艇団は遥か前方にいて大差がついていた。そして、10マイルほど先の最初のターニングマークである、風光明媚な石灰岩の岸壁が連なるエトラテ沖のブイを回る頃にはブービーの位置まで順位を下げていた……。

  気を取り直してフルサイズのジェネカーを上げた頃にはバウの先に赤い夕焼け空が広がっていた。そして3時間ごとのウォッチが始まって、長い長いブラジルを目指す旅が始まったのだった。

しかし、そこからKIHOは快調に帆走り始めた。そして陽が落ちるまでに2艇に追いつき、徐々に順位を上げていった。最初のウェイポイントであるシェルブールがあるコタンタン半島をかわす頃から風が上がり始め、時折20ノットを超え始めた。そして、ブルターニュ半島先端沖にある航行禁止区域の北を回るか南を回るかという選択に迫られた。ポジションレポートでは先行する艇団はほとんど南側を通ってブルターニュ半島を最短コースで通るコースを引いていたため、とにかく必死にその先行集団に喰らいついていこうと我々も南のコースを選択して最初のジャイブを行った。

暫くすると風は次第に強まってきた。そして時折25ノットのTWSを表示するようになった。そこで、ワンサイズ小さい、35ノットぐらいまで対応可能なミディアムジェネカーにチェンジした。そしてメインにはワンポイントリーフが入り艇はより安定した。その後、予報通り風は北東から東に振れ始め、KIHOはますますスピードを上げていった。

  ソロやダブルハンドのレースではフルクルーのレース以上に、スピードを追求すると同時にセイルを含めたハードウェアを破損というリスクから遠ざけなければならない。何故なら破損した場合の復旧にはとてつもない時間と労力がかかるからだ。ましてや、搭載出来るセイルが極端に少ないCLASS40においては、ダウンウィンドジェネカーはフルサイズとミディアムのたった2枚だけなのだ……。しかしそれがこのクラスを面白いものにしている要因でもある。セイリングスキルにプラスして使うセイルのマネージメントも大きな比重を占めるからだ。

  私がウォッチオフとなって30分ほど経ってからであったか…。

夢うつつの耳にセイルのシバーリングする音が聴こえてきた。そして、「セイルが破けた!!…」という悪夢のような声がした……。

急いでデッキに上がると、ミディアムジェネカーは何箇所かに渡って裂けていた。私はすぐにバウに行って回収のためのスナッファラインを引いたところ運良く降りてきてくれた。しかし、セイルはタックとリーチと本体の3つに完全に引き裂かれており、かろうじてボルトロープだけで繋がっていた……。

なんとか回収を終えて、とりあえずソレント(フランスではヘッドステイで展開するフルサイズのジブセイルをこう呼ぶ)を展開してバウをウェイポイントに向けた頃には、風がコンスタントに30ノットを超え始めていた。もちろん艇速は激減したものの、前に振れ始めた風と激しく不規則な大波のために次のオプションであるフラクショナルのリーチングジェネカーへのチェンジは待つこととなった。

最初の夜が明ける

最初の夜が明ける

  夜が明けてからも風の強さはアップダウンを繰り返しながらも東へ東へと回っていった。それに従ってメインは2ポイントリーフとなり、ボートスピードは少しづつ上がり始めた。そして午後になってその日最初のポジションレポートが入った。クラストップ艇との差は60マイルに広がっていた…。しかし、1艇がディスマストしてリタイアしておりKIHOの順位は20位に上がっていた。最初のターニングマークから6つ順位を上げていたということだ。

  その後、北田スキッパーは破損したジェネカーのチェックにキャビンに降りた。暫くしてデッキに上がってきた時の顔には深い落胆と疲労がにじんでいた。彼によればジェネカーはほぼ修復不可能ということだった。

引き裂かれたミディアムジェネカー

引き裂かれたミディアムジェネカー

アフリカ大陸に差し掛かって貿易風圏に入ってから強い貿易風を受けてダウンウィンドで大きくブラジルに向けて前進するというセオリーを考えれば、ミディアムジェネカーの損失は計り知れないほどの痛手だった。

 

「ロリアンに帰ろうと思う……何故ならミディアムなしでこのままレースを続ければタイムリミットにかかってしまうからだ……」

一瞬耳を疑ったが、それは冗談でもなんでもなく、まるで棋士が長考の後に指した一手のように真剣だったのだ。

「私はあなたの決定に従います」私はそう答えるだけだった。

栄光を得ればそれは全てスキッパーのものとなるのと同時に、全ての責任とリスクを背負わされているのもスキッパーである。だからこそ、海の上において、ヨットの上においてはスキッパーの権限は全てを凌駕して、彼の言葉は最も重いものであり、最後のものであるのだ……。

  風は25ノットほどに落ちていたものの、降りしきるブルターニュらしい小粒の雨の中新しいウェイポイントであるヘディング110度のロリアンに向けようとすると、風が許さなかった。何故なら、TWDを見れば110度と表示されていたのだった……。

  それから長い長い30時間が始まった。容赦のないビスケー湾の悪波の中を上り続けタックを繰り返した。身も心もクタクタになった頃、嘘のように風が落ちて波も消えていた……。そして右手前方に、淡い灯台の光が新月の闇夜に浮かびはじめた。徐々にその光力を増してくると、4回のフラッシュだった。ロリアン沖にあるグロア島の灯台だ。どんどん近づいていくと森の匂いがしてきた。陸の生命の匂いである。いつもの帰還であれば最も安心と歓びを与えてくれる匂いである……。そして右に緑左に赤の航路ブイを進んでいくと、LA BASEのドックが見えてきた。しかしその夜、私の目にはそのドックが黄泉の国にあるであろう神殿に見えたのだった……。

黄泉の国の神殿に見えた

黄泉の国の神殿に見えた

ホームポートに戻った貴帆

ホームポートに戻った貴帆

  陸に戻って2日目の午後にロリアンの桟橋で、KIHO以外にリタイアした数艇のスキッパーたちと会って言葉を交わした。キールを損傷し、肩を脱臼し、マストを失い、航海計器を全損し……無念の帰還をしたはずの彼らの顔には暗い影が落ちていたものの確かな光も差していた。もちろん、その後姿には悔しさがあり、背負っていた荷の重さは感じたものの、皆の目は次を見据えているのだ。彼らにとってのTransat Jacques Vabre 2019は終わりを告げたのだが、大西洋へ、そして南氷洋への挑戦という夢と希望は決して終わらないのだ。

  スタートする前よりも少しだけ彼らを身近に感じながら、私の中で何か、言葉にも形にもできない何か、が生まれてきていた……。

  11月1日の今夜、久しぶりに1人で前にも何度か行ったことのあるロリアンのバーへ向かった。スタート1週間前から禁酒して臨み、ロリアン帰港後は飲む気にもならなかったビールが身に染み入った……。

ビールが身に染み入った……

ビールが身に染み入った……

  考えれてみれば、もし私が向島の店を続けていたら今日で3周年となっていた。運命の悪戯とは予測不可能だ。1年前、まさか今夜このバーで飲んでいるなど夢にも思わなかった。だからこそ人生とは面白いのだが……。

  今ごろ、大西洋上で貿易風圏に入って快調なダウンウィンドを帆走り始めたであろう参加艇スキッパーたちの顔を思い浮かべ健闘と安全な航海を祈りながら、あまりに早く陸に戻ってきて風来者に戻ってしまった自分を揶揄いながら、そして短い期間ながら気のおけない友人となったパトリツィアとジュリアンとの出会いに感謝しながら、最後に飲んだアルマニャックから出てきた酒の精と話をしている。今夜の話は尽きなくなりそうだ……。

アルマニャックの精と話をする

アルマニャックの精と話をする

  呂律が回らなくなる前に、この言葉の旅を終わりにしよう……。

  でも……、私の旅はまだまだこれから先も続いてゆく。

 

 追伸

 結果的には、お互いに不完全燃焼で不本意なものとなった今回の挑戦ではあったけれど、この素晴らしいヨットレースという冒険と、それに関わる多くの魅力的な人々に会わせてくれた北田氏に感謝をいたします。ありがとうございました……。

2019.11.1. Smart Apart au Rorient 於

TAKESHI HARA

原健(はら たけし)
この度、Transat Jacques Vabre 2019(フランス〜ブラジル4500マイルをダブルハンド)に北田氏とダブルハンドで参戦することが決まりました。これを機に「はらたけしの…..海道をゆく」と題してコラムを連載しております。ぜひお楽しみ下さい。

はらたけしの……海道をゆく

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